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今週の大会-全豪オープン-
2006年01月15日 (日) | 編集 |
美しいメルボルンの風景

Australian Open.com


いよいよ明日から今年最初のグランドスラム、全豪オープンの始まりで~す!!…ん~やっぱナダル君がいないから盛り上がり率が97%くらいにしかならんなあ。まあよい。何を隠そう、私は4大大会の中でこの全豪オープンが一番好きなのである。理由は、まあ日本と時差が少ないとかアジアの大会だとかいろいろあるけども、一番の理由は、サーフェス。もちろん私はこのサーフェスでプレーしたことなんてないから実際はどうなのかよくわからないが、「おそくもはやくもない」。クレーみたいに遅すぎず、デコターフみたいに速くもなく、グラスのように変なバウンドもない(実際は少しあるようだけど^^)…ほとんどない。つまり、クレーのように遅いコートが好きな人も、ハードの速いコートが好きな人も、みんなにチャンスがある、といえるのじゃないだろうか。

まあ一応ハードに分類されてるからやっぱり速いには違いないんだろうけども、クレーコートが得意なストローカー達も、土の次にリバウンドエースがすき、とみんな口をそろえて言っている。…だからこそナダル君にぜひとも出て欲しかったのにさ…ちくしょ…。もうだいぶ平気になったけどさー、やっぱこうやってあらためてドローに名前がないのを見ると…さみしいね…ううっ。今ごろどこで何やってんのかなあ。ちゃんと足は治っているのだろうか。練習はちゃんと出来ているんだろうか。いい靴は見つかったんだろうか…あぁあ~考えたくない!忘れたい。忘れたいよう。しかし人間の記憶とは不便なもんで、忘れたいと思うことはなかなか忘れられない。覚えとかなくちゃいけないことはけろりと忘れてしまう。困ったもんだ。

まあそこらへんは時間の経過に身を委ねるとして、気分を切り替えて、オーストラリアオープン物語。ちゃららららん♪

全豪というのは4つのグランドスラムの中でも一番変化をとげている大会のような気がする。1905年に第1回目の大会がメルボルンのクリケット会場で行われました。てことはグラスだったのかな。その後戦争などで中止されていた期間もありましたが戦争終結に伴い再開、1922年からは女子も開催されるようになりました。そういや去年100周年とか言ってましたっけ。てことは今年は101回目ということなのかな。ちょっと計算が合わないが…違ってたらすいません。

「チャンピオンシップス」と呼ばれていた最初の50数年は、今とは違ってオーストラリアのいろいろな地域で行われていました。シドニーやアデレード、ブリスベン、パース、毎年違う州で行われていたのです。ニュージーランドで行われたことも2回ほどありました。初期の頃の大会は地元選手の独壇場。Rod Laver、Roy Emerson、Margaret Smithなどの地元のスター選手が大活躍した時代でもありました。

1969年にオープン化され、72年からは、毎年同じ場所で開催されることが決定しました。そこで一番多くの支持を集めたのが、メルボルンでした。そしてそれ以降16年にわたって、メルボルンのKooyong Lawn Tennis Clubで大会が開催されてきました。

伝統的にこの大会は1月に開催されてきたけども、1977年に、12月開催と時期が変更になりました。ということは、1977年は1月と12月、2回大会が行われたということになります。12月開催は9年間続き、翌年1986年に、再び1月開催に戻ることが決定されました。ということは、1986年はこの大会が全く行われなかったということになります。まあ年に2回やった年があるから、これで差し引き0というわけですな。

80年代はヨーロッパが優勢でした。エドバーグ、レンドル、ビランデル、などの選手が活躍、一方女子では、そう、エバートVSナブラチロワの熾烈な戦いが中心でした。そして大会の規模はどんどん拡大し、Kooyong Lawn Tennis Clubの規模では運営しきれないほど大きくなっていったため、メルボルン市内に、今の会場の前身であるFlinders Parkという新しい施設が建設され、88年からこの会場で新しいスタートを切りました。

90年代に入り時代が移り変わり、男子はアメリカが勢力を増すようになります。サンプラス、クーリエ、アガシの3人で計7回優勝します。女子も、セレス(当時の国籍はよくわからないが)やダベンポートなどのアメリカ選手が活躍、最近では2000年のカプリアティや去年のセレナなど、アメリカ勢は相変わらず強さを見せています。

その間にも大会の規模の拡大に伴って施設も拡充され、96年からはメルボルンパークと名称も新しくなりました。そして、2000年にセンターコートの名前が、オーストラリアの伝説的名選手、ロッド・レーバーを称える形で「ロッド・レーバー・アリーナ」と名づけられるようになりました。センターコートにグランドスラム史上初めて開閉式屋根がとりつけられたのも、この頃だったのかな。(←何年かはよくわからない…まあ最近であるのは確かでしょう。アバウトですいません)

とまあいろいろと紆余曲折のあったこの全豪だけども、選手の人気も高く、現在ではテニスファンみんなから支持され愛される大会となっています。たしか去年は4つのグランドスラムでこの全豪オープンが観客動員数1位だったという記事をどこかで見た(ソース覚えてない)。誕生して1世紀を迎えた今、開閉式屋根をはじめ、新ダブルスルール導入やコンピュータによるライン判定など、新しい技術にも積極的な取り組みをみせているこの全豪が、新時代の4大大会をリードしていく存在となっていくことは、間違いない。(長井秀和風) そして、去年のサフィンVSフェデラーのように、人々の記憶に残る名勝負、名場面、新たな伝説がここでまた生まれ、語り継がれ、世界中の人々感動を与えつつ、さらなる発展をとげ続けていくことであろう。おしまい。


…とまあこんな感じで(笑)。長々と失礼しました。ところでこの大会サイト、さすが「Asia/pacific」だけある。なんと公式サイトに日本語バージョンがあるではないか!やったあ。というわけでさっそくクリック。…おおお。レイアウトは原語そのままでちゃんと日本語表示されている。こりゃ楽ちんだ♪毎日ここに書くので何が大変かって、あの難解な英語の記事を読み下すのが一番骨の折れる仕事なのだ。しかも、いつもの自動翻訳みたいなへなちょこ日本語じゃなく、ちゃんと読める日本語になっている。しかしやっぱり。ちょっと面白い部分あり。たとえば、言語を選択するところ。「言語を選びなさい」。…命令形かよおい(笑)。えらそーだなあ。それに、「Interesting Facts」が「おもしろい事実」。…そのまんまだ。んで、中の文章もよく読むとちょっとへん。たとえば、トップのセレナの記事、「世界ランキングトップ10から3つばかり下がったところで足踏みし…」なんかへんだぞ!うきゃきゃきゃ。でもまあないよりずいぶんよい。この日本語サイトのおもしろ和訳も今後の楽しみとしよう。

一応今回はここまで。男女の今年のさっち的見所は、今書いてる最中なので(汗)、もうちょっとしてアップ予定。 

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australian open history
長い伝統(Australian Open日本語サイト)
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コメント
この記事へのコメント
やっぱり日本語がいい
>わかこさん

やっぱりなんか変ですよね~あの日本語バージョン。やっぱ自動翻訳なんですかねー。それにしてはわりときれいに翻訳されている…。他のGSでもこうやってくれるといいんですけどねー。さすがにそれは無理か…。
2006/01/15(日) 23:54:48 | URL | さっち #-[ 編集]
全豪HP日本語版
私も日本語版のHPを見ていて「ん?”言語を選びなさい”!?命令形かよ!」、「”おもしろい事実”って、自分でハードル上げてるじゃん!(実際たいして面白くは無い)」と一人つっこんでいました笑
でも、こうやって日本語で見ると身近な感じがしますね~♪
2006/01/15(日) 17:59:26 | URL | わかこ #-[ 編集]
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