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二兎を追うか、一兎を追うか
2007年06月27日 (水) | 編集 |
あと1ポイント!

Manuel Santana

@histoiredutennis.com




ウィンブルドン大会を5連覇したビヨン・ボルグ。それだけでもすごいことなのに、ボルグのさらにすごいところは、そのウィンブルドン優勝した5年のうち3年は、フレンチオープンもともに優勝しているということだ。

ローランギャロスと、ウィンブルドン。わずか2週間の間隔をおいて行われるこの2つのグランドスラムは、その日程だけでもムリがあるのに、選手の悲鳴をあざ笑うかのように、サーフェスをまるきり違えている。土と、芝。どちらも自然界にあるものでイレギュラーや天候に大きく左右されるという事以外はまるで共通点が見当たらない。

この、土と、芝のグランドスラムを同じ年に制するためには、その間の2週間ですべてを変えなければならない。プレースタイル、フットワーク、靴、ストリングの強さは変えるのかな。全仏を全英を両方優勝した人はたくさん(といってもそんなにいないけど)いるけども、同年に優勝した人となると、ごくわずかしかいない。男子は、ボルグ、レーバー、女子では、グラフ、ナブラチロワ、エバート、セレナ、…ぱっと思いついた人がこれだけ。あと誰かいたっけ…抜けてたらすいません。

その難業にいままで数多くの選手が挑んでは散ってきた。そして今年も。王者フェデラーがその偉業に挑戦したが、成功することはできなかった。今年この偉業を達成することができる可能性があるのは、エナンとナダル君に限られた。

エナンは、この全英以外のGSはすべて優勝している。ここウィンブルドンだけはどうしても今まで獲れなかった。全仏はあんなに何回も優勝してるのに、やはり土での戦いはタフであり、体力的な疲れもあるのだろう。そして女子よりもっと過酷な男子の世界では、さらに困難を極める。サーフェスで勢力図が大きく変わる男子でこの2つのサーフェスを両方とも得意とする選手は皆無だ。

クレーが得意な人は、どうしても最初に行われる土のほうを頑張ってしまうため、芝への準備が間に合わない。芝が得意な人は、たいがいクレーは苦手な人が多いから、クレーでは早く負けて芝の準備が十分できるという皮肉なことになっている。

じゃあ、土が得意な人が芝を制するにはどうしたらいいのか。ボルグのように両方がムリなら、その逆をとる道もある。土を捨てて芝に専念するのだ。二兎を追うもの一兎を得ず、の精神でね。しかしそれができるだろうか。

人間は欲張りな生き物だ。あるものを得るために他のものを犠牲にするということは、できそうでなかなかできないことだ。例えばナダル君がウィンブルドンをとるためにローランギャロスを欠場したりするか?ありえない。そうなったらロジェ君は嬉しいかもしれないけど(^^;)、それにそんなことは誰も望んでいないだろう。

ローランギャロスを欠場すれば必ずウィンブルドン優勝できるという確実な保証があれば、そうするかもね。でも、全仏出なかったからといって、ウィンブルドン勝てるとは限らない。これは賭けみたいなもんかな。この世は不公平なものだから、おいしいところを一人が持っていってしまうということは、大いにありうる。ボルグがかつてそうだったように。全英を獲るために勝つチャンスがある全仏を欠場するなど、できるわけがない。

しかし、それを実際にやった人がいる。そしてそのあと本当にウィンブルドン優勝したからもうびっくりだ。それは誰かというと…。スペイン人で最初に、そして去年までの時点で唯一、のウィンブルドン優勝者、Manuel Santanaさん。

来年70才を迎えるダンディーなサンタナさんは、1966年にウィンブルドンのシングルスで優勝。そして、去年、そのサンタナさん以来40年ぶりに、スペイン人男子としてナダル君がこのウィンブルドンで決勝進出をしたということで、大いに話題になった。

「芝なんて牛の食いもんだ」というのは芝生を苦手とするクレーコーターの心境を表す言葉として有名だが、その言葉を作ったのが、このサンタナさんらしい!えええっあの紳士のサンタナさんが…そんなぁ~ガラガラガラガラ(←イメージが崩れていく様子)…。それほどまで毛嫌いしていた芝をどうやって克服したのか。去年、ナダル君が戦う決勝戦に特別ゲストとして招待され、後輩の試合を見つめるサンタナさんの目の前には、40年前の出来事が蘇っていた。





サンタナさんは、1961年に全仏でGS初優勝。そして64年にも同じく全仏優勝。しかし、母国の反応は薄かった。当時のスペインでは、テニスというのはスポーツというより、金持ちの趣味としてしか捉えられておらず、当時のフランコ将軍からもそっぽを向かれる状況でした。ウィンブルドンで優勝、なんていうことを考えようとするスペイン人は全くといっていいほどいませんでした。

「当時は厳しい時代だった。テニスをやる人なんてほとんどいなかったよ。」

まさに今から考えると信じられない「冬の時代」だったスペインテニス。しかしサンタナさんはそんな状況でも必死で自分に言い聞かせます。

「なんということだ…でも、このスポーツは絶対にスペイン人にぴったり適したスポーツなんだ。僕らが本当に好きなのはチームスポーツじゃない。スペイン人は個人主義的な民族だから。」

きっとスペインにテニスが広まるようになる。そう信じてプレーを続けたモンタナさん。しかし、テニスといえばやはりウィンブルドン。そこで勝たなければ国民の心を動かすことはできない。

当時のサンタナさんは、やはり現在のスペイン選手同様、クレーが得意で芝が苦手だったようです。全仏優勝した頃でも、ウィンブルドンへいけば1回戦や2回戦で敗れ去るということが続いていました。

「ウィンブルドンで優勝するためには、それまでとは何か違うことをやらなければいけないと思った」。

そしてサンタナさんは、1965年と66年にローランギャロスを欠場することを決意します。そしてパリへ行く代わりに、ロンドンへ向かったのでした。芝生というやっかいな相手を手なずけるために。

「芝での練習を十分に積まないと、勝てないと思っていた。だから、Surbiton、Bristolへ行き、クイーンズでプレーした。そしてロンドンに家を借りた。芝だけじゃなく、ロンドンの人や街もとても好きになったよ」。

牛の食うもんなんて言っているようでは相手だって歩み寄ってはくれません。まず、好きにならなければ。身も心もロンドンに溶け込み、芝生と和解することから始まりました。

当時は全米も芝で行われていました。その全米を65年に制しました。同年のデ杯決勝では、芝でチームとしては敗れましたがオーストラリアのロイ・エメルソンを破りチームに1勝をもたらしました。彼の芝攻略作戦は着実に芽を出し始めていたのです。そして翌年の全仏を欠場し、満を持して1966年、SW19に乗り込んできました。

「これが最後のチャンスだとわかっていた」。
サンタナさんはそのとき28才、もうすぐ29才にさしかかろうとしていました。

「でも、心の準備はばっちりできていたからね」。
前哨戦のクイーンズ準々決勝でDennis Ralstonに敗れていましたが、それが彼の精神を揺るがすことはありませんでした。そして幸運にもケント公夫人がサンタナさんのプレーを気に入っていたのか、ほとんどの試合がセンターコートで組まれたことも、サンタナさんにとって励みになりました。

そして決勝進出。最終日、戦う相手は、なんとそのRalstonでした。
「デニスは本当にいい選手だったけど、こういう大きな大会で優勝したことはなかった。そういうダークホースの選手が勝つことはないと思っていた」。

ストレートでサンタナさんが優勝を決めました。できることをすべてやって、全仏を犠牲にしてまで、最善の準備をし尽くして、ついにつかんだ栄冠。まさに、「努力は実る」。

「あのときの喜びの味は本当にすばらしいものだったよ。そしてスペインに帰ったら、すごい反応だった」。テニスをあんなにけなしていたフランコ将軍がわざわざ面会して祝福し、テレビで放映され、国民全体が喜びに沸きました。ついにサンタナさんが、スペイン人の眠っていたテニスへの情熱の目を覚ました瞬間でした。

そして今。特大テニス王国となったスペインはテニスの大きな大会も開かれるようになりました。これもスペインテニスの地位が向上した証拠でしょう。TMSマドリッドに加え、女子のWTAチャンピオンシップスが2年連続マドリッドで行われており、サンタナさんはそのトーナメントディレクターとしてもご活躍されています。

そしてサンタナさんのテニスへの情熱は、確実に次世代へ受け継がれ、2000年には、あのときサンタナさん達が決勝で負けたデ杯で、ついに優勝。2004年にも優勝を飾っています。そしてその決勝戦でアメリカNo.1のロディックを破り衝撃のデ杯デビューを飾ったナダル君が、サンタナさんからバトンを受け取るときがきました。

サンタナさんは今地元のテニスクラブである少年を教えているそうです。その子は左ききで、いわゆる「ナダル2世」。着るウェアやボールの打ち方、あらゆることをナダル君と同じことをやっているようです。スペインにはそういう子供たちがたくさんいそうですね。

「彼はラファの後継者なのさ。そして、ラファは、きっと、僕の後継者だよ」。

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あ、あれ…途中から話の論点がすり替わっている(^^;)…えっと最初は、全仏と全英両方いっぺんにとるのは大変なんだよっていう話だったんだが…最後はスペインテニス話になっている…話がまとめられなかった…まいいや…(投げやり)

確かに現在は、道具も進化し、スピード、パワーも増し、大会数も増えて選手にとって過酷といわれる。しかし、こういうのを見ると、やっぱり今の時代の人は恵まれていると感じる。先人たちは、テニス以外に戦わなければいけないものがたくさんあった。今のテニスの繁栄は、その先人たちの血と汗と涙の結晶であるということを、そういうレジェンドたちへの敬意を、忘れてはいけない。

ナダル君は芝でも努力しているしツアーでもなにかとやっかみも多く苦労も耐えないかもしれないけど、国へ帰ればあんなにもてはやされ大事にされる。サンタナさんが蒔いてくれた種が花開いているからだ。ツアーではトップ選手としてなにかと優遇されることも多い。サンタナさんのしてきた苦労に比べれば、まだまだ、やるべき仕事はたくさんある。

それはともかく、バトンはちゃんと落とさずに受け取れるのだろうか…ナダルくんがウィンブルドン優勝する日が本当にくるのかな…なんだかにわかには信じがたい。やっぱりそれにはサンタナさんのように土を一度でも捨てないといけないんだろうか…ボルグのようにはいかないのだろうか…。でもいくらウィンブルドン勝ってほしくても、怪我などしてない状態でローランギャロス欠場はやはり、してほしくはないなあ。本人だって絶対できないだろう。それを考えると、サンタナさんの決断は相当な覚悟での大英断だったといえる。まあ今とは時代が違うし、とりまく状況がそうさせたのかな。

今みたいにスペインでテニスが人気で全仏がもうちょっと注目されてればモンタナさんが土を捨てることもなく、そしたら芝の良さを理解することもウィンブルドン勝つこともなかったのかもしれない。やはりウィンブルドンを勝つということはそれほどまでに大変だということなのか…。だから今年もあまり過剰な期待をしてはいけないと思いつつやっぱり期待してしまうこの欲の深さ。だから一応こっそり応援している次第である。

でもエナンのほうは、か~な~り~期待できるのではなかろうか。No.1として一番選手としてピークにある状態だし、ライバルたちはみんな不安材料がある。マリアちゃんは肩の怪我で力が発揮できてないし、セレナもハムストリングがどうとか言っていた。ヒンギスも怪我からの復帰戦だし以前の強さはない。ヤンコやイバノビッチは大舞台の経験がまだ足りない。モレスモは虫垂炎での離脱もあり今年全般的に波に乗れていない。直前のイーストボーンではそのモレスモに勝って優勝し、心理的にも優位に立っている。家族とも和解し精神的に充実しており、全仏3連覇達成直後で勢いもある。とても誰かがエナンを止められそうに思えない。

エナンは25才。体格やあのストイックな性格を考えると、それほど長く現役を続けるとも考えにくい。エナンにとって、今年は、最後とまでは言わないけども、最大にして、…やっぱり最後に近いかも…チャンスだ。今年これで獲れなかったらもう来年はヤンコたちが育っているからかなり厳しくなる。生涯グランドスラムを、全仏全英連続優勝という形で達成することができるかどうか。今年のウィンブルドンは、エナンのテニス人生をかけた勝負の14日間となるだろう。


Man who won over a nation provides inspiration for Nadal(The Times)


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