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旅立つ君に幸あれ
2008年05月26日 (月) | 編集 |
kuerten.jpg


5月末から6月にかけてのこの時期に行われる赤土の祭典、ローランギャロス。いよいよ開幕です。明るい初夏の太陽の下でまぶしく輝く褐色の土、それをやさしく見守る暖かな赤色のブーゲンビリア、周りに縁取られた緑の外壁、色とりどりのファッションに身を包むお客さん、いつもと変わらぬ光景です。おそらくこの光景は、十年後、二十年後も変わることなく続くことでしょう。しかし、変わっていくものもある。ここで、この土に負けないくらいに輝き、このローランギャロスの地に愛される選手たちも、いつか必ず別れを告げる日がやってくる。

ディフェンディングチャンピオンが出席して厳かに行われるドローセレモニー。そこに、去年3連覇を果たした彼女の姿は、ありませんでした。私はこの光景を写真で見たときに、ああ本当にエナンはいなくなったのだと、改めて強く実感しました。

エナンは、復活をかけて挑んだベルリンの大会でサフィーナに破れた直後、現役引退を発表しました。昨年優勝のローランギャロスを間近に控えての、しかも現No.1の引退というWTA史上初めてのことに、本当にびっくりしました。全仏大丈夫かなあと思ってはいたけど、まさか辞めてしまうなんて…そこまで追い詰められていたのか…。

各選手それぞれに、いろいろな紆余曲折があり、波乱があり人生にドラマがあるでしょうが、エナンのテニスキャリアも、本当に波乱の連続だったように思います。


キム・クライシュテルスの存在

キムが去年引退したときに、キムにとっての大切な人物のひとりとしてエナンを挙げました。エナンにとっても、キムの存在は、他国のライバルとは違った意味あいがあったに違いありません。ベルギーという、それまで有名な選手もあまりいなかったこの小さな国からこんなに素晴らしいスターが、2人も、それも同じ女子で、こんな同じ時期に出てくるとは。年齢は少し違いますが、2人は互いに歩調を合わせるように時を同じくして台頭してきました。そしてグランドスラムの決勝を2人で戦うようになる。

プレーも、キャラクターも、2人は対照的でした。恵まれた体格と柔軟な体をフルに使って力強いテニスを繰り広げるキム、恵まれない体をめいっぱい最大限に使って、キレと技でスマートにパワー選手に対抗するエナン。人懐っこくて愛嬌のあるキムに対し、いつも自分の世界をつくり壁を作ってあまり人と関わらないエナン。2人はいつも比較されてきました。そんな2人はグランドスラム決勝で3回対戦しましたが、すべて勝ったのはエナンでした。

2人はお互いの存在をどう感じていたのでしょうか。比較されるのはあまり気持ちのいいことではなかったでしょうが、しかし私は、2人は無意識に、お互いの存在によって支えあっていたのだと思います。つまり、小さいときから常にそばにいた同国のライバルという存在が、彼女たちのツアー生活にいつしかなくてはならないものになっていたのではないでしょうか。キムが引退、そして1年あまりでエナンがあとを追うようにコートを去っていきました。キム・クライシュテルスという存在を失ったエナンにとって、それ以降のツアー生活は、今までずっと当たり前のように存在していたものがなくなったような感じだったかもしれません。

キムが去り、そしてエナンが去り、ベルギー2人がツアーから姿を消したことで、ひとつの時代が終わったのだと、寂しく感慨深い気持ちになりました。

家族との確執、和解

コート外でもエナンの人生は紆余曲折でした。小さいころお母さんにつれられて見に行ったローランギャロスで、ここでプレーして優勝するという夢と希望を得た、そのお母さんを12才で亡くし、父親や兄弟と疎遠になり、断絶状態が続きました。そんな傷心のエナンの心の支えはコーチのカルロス・ロドリゲスさんでした。公私ともに彼女を支え、生涯のコーチとしてエナンとともに歩んできました。ロドリゲスさんとの出会いがなかったら、エナンはこんなにもすばらしい成功を収めることはできなかったでしょう。

エナンは若くして結婚しました。幼馴染だったピエールさんと結婚、入籍したのは、20歳…か21歳(あまりよくわからない)のとき。しかし2人の幸せの時間は長くは続きませんでした。人の気持ちは、時間によって容易に変わってしまうものです。2007年、エナン24才で、離婚を決意。離婚に至るまでのいろいろなことはよく知りませんが、エナン・ピエールさん双方にとって相当つらいものであったに違いありません。それは、テニス選手にとって大切なグランドスラム1つを犠牲にしなければならなかったという事態がよく示しています。

しかし、離婚後、エナンは新たな人生の一歩を踏み出しました。長年心を閉ざしてきた父親や兄弟と和解することができたのです。人の気持ちは、時間の経過で、よくも、悪くも、変わる。傷ついた心は、時の流れが癒してくれる。去年のローランギャロス、お兄さんたちが彼女を暖かく見守っていた姿は、今でも記憶に残っています。

バッシング

エナンは、決して優等生ではありませんでした。むしろ、バッシングを受けるようなことが多かったように思います。グランドスラム初優勝した2003年全仏、セレナとの準決勝で、サービスをしようとするセレナに対するあいまいな仕草で一時状況が混乱し、当時の状況をあまり詳しくは覚えていませんが、フランス語を話すエナンは昔からパリで特に人気があり、最終的に観客がなぜかみんなエナンについてしまいセレナブーイング一色となってしまいました。接戦であっただけに後味の悪いものとなり、エナンはそのあと優勝してグランドスラム初優勝を決めたわけですが、スポーツマンシップに欠ける行為だったと批判を受けました。また、2006年の全豪では、決勝でモレスモに試合の主導権を握られ第1セットを失い第2セットで棄権。ふつうの試合ではありません、グランドスラム決勝、そしてモレスモはGS初優勝がかかっており、途中で投げ出すのかとかなりの批判を浴びました。彼女は数々のバッシングに対してじっと耐えました。それ以外にもいろいろあったようにも思いますが、私が特に覚えているのはこの2つです。

バッシングを受けやすい選手とそうでない選手がいるように思います。シャラポワ、ウィリアムス姉妹、などはなにかとよく批判されています。エナンもどちらかというとそっち側の部類だったかもしれません。


プレースタイル

しかし、エナンは、そんなバッシングも蹴散らすほどの称賛を受けました。それは、そのプレースタイルです。170cm弱という今のテニス界では小柄なエナンがパワー先行のテニス界でこんなにも強かったのは、その小さな体を最大限利用した運動能力の高さ、洗練された技術、フットワーク。女子では少ない片手バックハンドの美しさは、マッケンローをして、「男女通じて一番」と言わしめたほどです。そして強い精神力。ピンチになったときの気持ちの強さを、何度目にしたことでしょうか。まさに、心・技・体兼ね備えていた。彼女のような完成度の高いテニスをする選手は残念ながら今の現役女子選手にはいないと個人的に感じます。ちょっと前、「柔よく剛を制する」のが最も可能なのがこのクレーコートだと、書きました。エナンが一番多くとったグランドスラムが、ローランギャロスです。

昨年、キムが引退したあと、エナンは全仏、全米、WTA最終戦を優勝し、最強でした。誰も全くエナンにつけいる隙がありませでした。とくに全仏の決勝でイバノビッチを粉砕し、全米ではセレナ、ビーナスと連続撃破、決勝でもクジーに圧勝。キャリア最高のシーズンを送りました。ただひとつ悔やまれるのが、ウィンブルドンの準決勝。どうしてあそこで第2セット以降崩れてしまったのか、未だにわかりません。今年こんなことになってしまった今、去年のウィンブルドンが本当に悔やまれます。しかし、人生は筋書きのないドラマ、ということなのでしょうか。

度重なる怪我、病気との戦い

ほぼ10ヶ月以上厳しい戦いが続く過酷なテニスツアー生活。スポーツ選手ならば体を酷使するのは当然ですが、他の選手より体格が小さいだけにエナンはより負担を強いられていたのかもしれません。足首や膝などの怪我にみまわれました。そして怪我だけでなくウィルスという目に見えない強敵が彼女の体を蝕みます。場所がはっきりわかるよりも苦痛だという感染症による全身症状は、なかなか治りません。しかもウィルスだけに根治薬もない。2004年アテネ五輪で金メダルを獲得した後の2005年シーズン、エナンは戦列を離れコート外の敵と戦う日々が続きました。そこから復活して2006年は全てのグランドスラムで決勝進出を果たし、2007年はさらにすばらしい結果を出しました。

しかし栄光は長くは続きません。2008年に入ってからは思うような結果が出せず苦しい日々が続きます。全豪やマイアミではライバルにいいところなく破れ、膝の怪我も長引き、試合をこなせないからおそらく筋力や体力も落ちてしまっていたでしょう。膝の手術も考えたそうだからよっぽど悪かったんでしょう。しかし、5月はクレーシーズン、エナンにとって最もいいプレーができるコートが待っています。今度こそと復活をかけて挑んだ大会で若手に破れ、自分にとっての限界が見えたのかもしれません。

「体力の限界…!」当時若手のホープだった貴花田(のちの貴ノ花)に敗れて引退を決意した千代の富士の引退会見での言葉が、なんとなく頭をよぎりました。

エナンは、線香花火のようだったと、私は感じています。それは、か細くはかないという意味ではなく、細い体でめいっぱい炎を燃やして美しい花を咲かせて、最後の最後に最も華やかに輝いて、そして、ぱっと一瞬で散る。後には赤くほてった火玉を残して。私達の記憶に輝かしいその姿を焼き付けたまま、静かに去っていきました。

私はエナンが好きだったので、ことあるごとにエナンのことをよく書いてきました。ずっと昔から知っているわけではないけれど、エナンは本当に好きだったので、とっても寂しいし悲しいです。ローランギャロスにエナンが出ないなんて…と最初は思いました。でも、昨日のWOWOWでエナンの会見を見ましたが、とてもさっぱりした顔をしてましたね。新しい一歩を踏み出そう、という希望に満ちているようで、とても幸せそうでした。心からエナンにおつかれさま、ありがとうと、言いたいです。

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昨日もうひとり、ローランギャロスにこよなく愛された1人の男性が、コートを去りました。1997年、ノーシードから彗星のごとく現れいきなりグランドスラム初優勝をこのフィリップ・シャトリエコートで成し遂げた、グスタボ・クエルテン。派手派手シャツにもじゃもじゃ頭、それまでの常識から考えにくい特異な風貌がまず印象的でした。初めてグーガを見たとき、なんか変わった感じの人だなあ~と思ったのを覚えています。そしてスピンで粘るストロークが主流だった当時のスタイルを一新させるようなスピードあふれるスタイルも、テニスに新しい風を吹き込みましたね。体をムチのようにしならせて高い打点から繰り出される速いショットは、新しいテニスの代名詞といわれました。グーガの片手バックハンドのキレのすごさは今でもよく覚えています。最近は男子も両手うちが増えましたから余計にグーガのバックハンドが懐かしく感じます。

グーガは1997年と2000、2001年にローランギャロス優勝してます。そしてツアー最終戦のマスターズカップでも優勝しており、No.1にもなっています。しかし成績以上に彼のその明るく温かなキャラクターにみんな虜になりました。会って話したこともないのにどう考えても悪い人であるはずがない。と断言できてしまうその人柄の良さ。バッシングというのはグーガにとって全く無縁のものでした。コート上でも紳士的で、選手仲間にも関係者にも愛され、ファンを大切にする。ローランギャロス優勝したときに土の上に描いたハートマークは、グーガの専売特許です。他の選手がまねすることは、できません。

世界1位にもなったグーガですが、栄光は長くは続きませんでした。エナン以上に、グーガのツアー生活は怪我との戦いでした。体の回転を軸にプレーするということは、それだけ体にかかる負担もかなりのものだったのでしょう。臀部の手術の話を何度聞いたかわかりません。体にメスを入れ続けても、また悪くしてしまう。世界1位になった頃充実したプレーをしていた影で、徐々に腰が蝕まれていたのだろうか。それほどまでにテニスというのは体を痛めるスポーツなのか。キャリア後半のグーガを見ていると、本当に辛そうでした。スポーツで飯を食うというのは本当に大変なのだと感じました。

今年の初めについに引退を決意したグーガは、このローランギャロスを最後の舞台に選びました。やはりここは一番思い出のあるコートに違いありません。テニスというスポーツの楽しさを、人生を教えてくれたこのコートを引退の花道にしたいと考えるのはしごく当然のことです。そして昨日、マチュー君に破れ、グーガの現役は終わりました。

もちろんまだダブルスに出場する予定になっていますから、真の意味での引退はまだあとちょっと先です。


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エナン、そしてグーガ。ローランギャロスの土に最も愛されたといってもいい2人が、時を同じくしてコートを去ることになりました。2人の花道は対照的でした。エナンは、姿を見せることなく、3連覇したままの栄光の面影を残して去り、グーガは、最後敗れて有終の美を飾った。引き際にはいろいろな形があるものだと思いました。
2人とも、今まで本当におつかれさまでした。夢を見させてくれて、ありがとう。2人のこれからの第2の人生が、幸多きものであることを、祈っています。



今日の1曲
心のボール/徳永英明


最近徳永英明さんの「VOCALIST」をよく聴いている私。この曲はご自身の曲なのでそれには入ってないのですが…。徳永さんは私が子供の頃…小学生か…中学生か忘れたがそのころに♪輝きながら~♪とかがヒットしてましたが、当時はそれほど興味もありませんでした。しかし最近なんかとてもいいなあと思えてよく聴くようになりました。年とったということかね…(どういう意味だ)。なんか聴いてると癒されるというか、なんか気持ちが落ち着くというか、いいんですよねえ。一番好きなのは「壊れかけのRadio」ですが今日はなんとなく記事に合いそうなこちらの曲にしました。

空高く 蹴り上げた
ボールが 落ちてくるまで
少しだけ 夢を見た
幼い日の夢

想い出は 螺旋の風
訳もなく 涙が降るよ
胸の中
だけどほら 人はほら
未来に生きてる

(作詞 ASKA)


(聴いてみる)



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