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いまを生きる
2009年06月24日 (水) | 編集 |
Taylor Dent 5-7 6-7(6) 6-4 日没中断 Daniel Gimeno-Traver

テイラー・デントは、テニス名門一家に生まれた超サラブレッド。その血を受け継いでアメリカ国内でも早くから頭角を表してきました。17才でプロ入りし、3年目の1998年、予選を勝ち上がりウィンブルドン本戦に初出場。当時第2シードのアンドレ・アガシと対戦し、1セットを奪う大健闘を見せました。

それからもデントのテニスキャリアはしばらくは順風満帆でした。98年には400位台だったランキングも速度を緩めることなく上昇し、2002年は57位で終了。そしてデ杯のアメリカチームの一員にも選ばれた。2005年のウィンブルドンは、最後レイトン・ヒューイットに破れるまで4回戦進出。ランキングは21位になっていました。

ところがその2005年中盤以降、長年痛めていた背中の怪我の悪化がきっかけで、彼の人生の歯車が狂いだします。徐々に試合にも出られなくなり、2006年は年間4大会しか出場できませんでした。痛みの原因となっている脊髄の神経根を電気針で探して切断するという手術をうけることになりました。

しかし翌2007年になっても事態はさらに悪くなるばかり。脊椎骨折の手術があまりうまくいかず、デントは1日24時間のうち23時間、ギプス固定を余儀なくされました。その生活が一ヶ月続きます。その後に脊椎固定術というたいへんな手術を受けたのです。
「手術前から、もう終わりだと思ってた」。
主治医と話したときに、こう言われたとか。
「テニスに復帰するための治療とは思わないでほしい。それはもう無理だと思う」。

2007年2月19日の694位を最後に、デントの名前はランキングから消えました。

手術のおかげで、背中の痛みとは縁をきることができました。そしてさらに、デントをびっくりさせるできごとが。手術数ヶ月後、「もうテニスはできない」といっていた先生が、検査結果を見て、テニスしてみたらどう、と言い出したのです。

「…へ?」
あまりの意外な言葉に、鳩が豆鉄砲食らった状態でさらに珍獣顔になってしまったデント。
「やってごらんよ。失うものなんか何もないだろ」。

俄然やる気になったデント。学生時代からスポーツの成績は超優秀だった。なんてったってプロ選手なのだから。心躍らせてコートに入ったデントでしたが、そのわずか5分後、そこには悲しみで涙にくれるデントがいました。
「すべてを失っていた。背中以外、膝、肘、足首、どこもかしこもが、痛くてたまらないんだよ」。
治療に専念することで、今まで培ってきた体力、筋力、戦うために作り上げてきた自分の体は、もうどこにもありませんでした。
こうして、デントのゼロからの再出発が、始まったのです。

そして1年あまり経過し、2008年11月17日、897位として、ATPランキングに再登場。新たな船出の瞬間でした。


今年のシーズンのデントの目標は、○位以内、でも、△回戦進出、でもありませんでした。
「自分が生きていくために試合をやりたいのかどうかを、見極めること」。
人はみなこの世に生かされている。何かをするために生きるのではなく、生きていかなきゃならないから、何かをする。その何かこそが、仕事であり、職業となる。自分はその何かに今プロツアーテニス選手を選ぶべきなのか。それが本当に自分の人生に値するのか。

答えはほどなく出ました。3月のマイアミで、予選を勝ち抜いて本戦出場。そこでトップ20選手2人を破り3回勝ち抜き、ロジャー・フェデラーと対戦、敗れました。
「あれでいろんなことがわかったよ」。

もともと力のあるデントだけに今年に入ってからも順調にランキングは上昇しましたが、それでも、200位台後半と、ウィンブルドン予選に出場するにはWCをもらわなければなりませんでした。ローハンプトンで行われる予選には、128人が出場、16のいすをかけて戦う激戦です。雨で試合が流れたため、3日間で3試合をこなさなければなりませんでした。しかも相手はすべてトップ160以内のつわもの揃い。
「長かったよ」。修羅場を勝ち抜き、ウィンブルドンへの切符を手にしました。

アメリカトップ選手としての過去の栄光。それはもう、28才になった今の自分の中には、ない。
「大切なことはただひとつ、今自分がどこにいるのか、そしてどこに行きたいか、さ」。





(9)Caroline Wozniacki 5-7 6-3 6-1 クルム伊達公子

89年にプロテニスプレーヤーとしての道を歩み始めた伊達さんは、世界に羽ばたいていきました。3年後には、当時世界3位のサバチーニに大金星を挙げ、翌年は地元の東レでアランチャ・サンチェスを撃破。同年にはWTAの「most improver player」賞を受賞。93年の全米では4大大会初のベスト8入りに成功、そして94年、ついに、日本女子史上初のトップ10選手となりました。その後も全米、全豪でベスト4入り。トッププレーヤーとしてのゆるぎない地位を確立していきました。

そして向かえた96年。伊達さんにとって、日本人にとって、日本テニス界にとって歴史的な年となりました。フェドカップでグラフと対戦、フルセット、大熱戦となりましたが、12-10で、女王グラフをついに破りました。そして3ヵ月後、テニスの聖地ウィンブルドン。順調に勝ち進み、準々決勝はセンターコートで勝利を飾り、満を持して迎えた準決勝、ネットの向こう側にいるのは、3ヶ月前に土をつけたばかりの、女王グラフでした。

第1セットをおとした後の第2セット、伊達さんが徐々に試合を優位にすすめ、6-2でファイナルセットにもつれこむことになりました。流れは伊達さんにきていました。しかし、運命とはときに非情なものです。日没サスペンデッドで、翌日に試合はもちこしとなりました。日付が変わって息を吹き返してきたグラフが、押し切って勝利。奇しくもこの対戦が、伊達さんとグラフの最後の試合となりました。

同年秋伊達さんは26歳の若さで引退を表明し、現役最後の試合は、当時16才、のちに女王として世界に羽ばたいていくことになるヒンギスとの対戦でした。世界で活躍してきた伊達さんが、ヒンギスにバトンを渡した瞬間でした。
その後はミハエルクルムさんと結婚し、日本でテニスの普及につとめてきた伊達さん。現役のころに見せていた厳しい表情は、すっかりやわらぎ、穏やかなものになっていました。

そんな伊達さんが現役復帰を表明したのは昨年2008年。引退後は後輩の杉山さんが活躍していたものの、なかなか若い選手が育たず、アジアでも徐々に中国に遅れをとるようになっていました。そんな状況を見て、立ち上がりました。若手育成のため、ということでしたが、26才という若さでラケットを置いた自分への、再挑戦でもあったのかもしれません。

37歳という年齢での現役復帰は困難が予想されましたが、持ち前の類稀な才能と技術、そして努力で、日本の若手と互角に戦い、伊達公子ここにあり、ということを示しました。そして、日本中を熱狂させた、あのグラフとの準決勝、その場所に、ついに、戻ってくることになりました。

対戦相手は世界9位、前哨戦を優勝し、勢いもある伸び盛りの若手。相手として不足はない。伊達さんの芝での経験が、第1セット若きエースを狂わせました。第1セットを先取し、第2セットも先手をとります。しかし、若いウォズニアッキもさすがに譲りません。徐々に力を出し、最後は足の痙攣もあり、伊達さんのウィンブルドンは、終わりました。

「やるべきことはやった」。WOWOWのインタビューでも、さばさばした表情で試合を分析していました。失われた日々は、戻らない。でも、がむしゃらにやっていたときには見えていなかったものが、一旦離れることで、見えてくる、ということもある。38才の伊達さんは、25才でグラフと対戦していたあの頃に優るとも劣らない、充実したツアー生活を、送っていると、思います。

そのほか結果

(5)Svetlana Kuznetsova 6-3 7-6(1) 森上亜希子
Kristina Kucova 2-6 6-3 6-3 中村藍子


日本人選手は両者とも敗れ、杉山さん以外はすべて敗退ということになってしまいました。どの試合もいい試合してるように思えるですが、なかなか勝つのは難しい、ですね…。
でもあとダブルスが残っていますので、がんばってください!

(6)Andy Roddick 6-3 7-6(3) 4-6 6-3 Jeremy Chardy
(3)Andy Murray 7-5 6-7(3) 6-3 6-4 Robert Kendrick
Lleyton Hewitt 6-4 6-1 6-1 Robby Ginepri

(3)Venus Williams 6-3 6-2 Stefanie Voegele

今日はデントと伊達さんが大作になってしまったので、あとがちょっと軽めに…すんません。次はしっかりと。

アンディはシャルディにやや苦しみました。しかししっかりと、1回戦突破を決めてくれました。
一方もう一人のアンディもやや苦戦。ケンドリックやはり芝でのいいプレー健在ですね~。見事なダイビングショットもよく決まっていた。
2人とも少し苦しんだ形だけど、こういう風に序盤ちょっと苦しむ、というのは意外に悪くなかったりすることもある。常に自分の調子がいいとは限らない。相手が変わればまた変わるし。不調なときでも、なんとかして、ポイントを作って、積み重ねていく。そういう試合運びの技術は、練習では決して得られない。

レイトンはジネプリに快勝。調子よさそうだね!そして次はいよいよデルポ戦。今日のデルポトロ見てたらやっぱ強そうだな…でもレイトンも調子をあげているし、いい試合になると、思います。

昨年の覇者ビーナスが登場。あんなにふかふかだった芝生は、前日6人により蹴散らされ1日でなんかもう…。男子の優勝者が欠場なのだから、女子の優勝者を開幕試合にすればよかったのに。なんかいつも男子ばっかり最初で不公平だ。一番いいと思う方法は、初日に男女の前年覇者を連続登場させることにして、どっちが先かについてはじゃんけんか何かで決める、とか…だめですか。

Return serve(boston.com)
伊達公子-Wikipedia
クルム伊達、13年ぶりウィンブルドンは初戦敗退(サンケイスポーツ)

今日の一曲 -天気・気象ソング特集-
日はまた昇る/浜田省吾



今日まで何度も厄介な事に 見舞われてきたけど
今も こうして暮らしてる
これからも 生きてゆけるさ

長い旅路の色んな場所で
数えきれぬ人に出会う
誰もが 皆 自分の人生と闘っている

荒野にひとり君は立ってる 行く道は幾つもある
だけどたどりつくべき場所は 
きっとただ ひとつだけ

どの道を歩いて行こうと
君は君の その人生を 受け入れて楽しむ他ない
最後には 笑えるように
(作詞・浜田省吾)




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コメント
この記事へのコメント
ちょっと前は日本がNo.1だったのに…
>あいこさん

サバチーニは当時超スーパースターでしたからねえ。きれいだったし(^^)。あのあともサンチェスに勝ったり、ぐんぐん成績が伸びていって、一発屋じゃないことを証明しましたね。
そうですねえ沢松さんと同じ時代でしたね。沢松さんも日本では存在感は伊達さんに負けないくらいありましたよね。マスコミ対応は沢松さんのほうが上手かったかな?

デントは今日続きの試合がありますね。1セットダウンですが、なんとかふんばって挽回してほしいと、思います。
2009/06/24(水) 21:26:27 | URL | さっち #jQoqE9no[ 編集]
アジア女子No.1は今や中国
さっちさん、こんにちはです。
伊達選手がサバチーニを破った・・・あれってLAの大会でしたっけ?あれにはびっくりしました。それまで90位前後だったのが、あの勝利であれよあれよとトップ10に入ってきたんですから。当時沢松選手を密かに応援していたワタクシとしては面白くないことでしたよ(笑)今なら純粋に素晴らしい!といえるのになー。
デント選手もまさに復帰、ですね。そして今年WB本戦で戦っている・・・頭が下がります。応援することしかできませんが、この選手にも注目してみます。
2009/06/24(水) 11:18:17 | URL | あいこ #8iCOsRG2[ 編集]
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